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05話 触れそうで、繋げない手

last update publish date: 2026-10-25 22:20:37

 青い夢のような空間を満喫し、案内順路に従って自動ドアを出ると、昼の日差しが私たちを迎えた。

 現実に引き戻されたような感覚のなか、室町くんが下がってもいない眼鏡のブリッジを押し上げながら、少しお腹を気にするように私を見た。

「お昼、どうしようか。何か食べたいのある?」

 その問いかけに、私はバッグの底に眠る重みを思い出して、固まった。

(あ……やってしまった……!)

 異性とデートなんてしたことがない上に、染み付いた貧乏性のせいで、私は「お昼をお店で食べる」というごく一般的な発想に全く思い至っていなかったのだ。それどころか、今朝早くに起きて、張り切って二人分のお弁当を作って持ってきてしまっていた。

「あ、あのね、室町くん……私、その、お弁当、作ってきちゃって……っ」

「え……?」

「ごめんなさい! 私、本当に貧乏性だし、男の人と出かけるの初めてだからお店に入るって頭がなくて……! 人が作った料理が苦手って人だって世の中にはたくさんいるのに、何も深く考えずに勝手に用意しちゃって……どうしよう、本当にごめんなさい……!」

 自分の常識のなさと配慮の欠如に、頭が真っ白になってしまう。顔から火が出るほど恥ずかしくて、手元のバッグを抱き締めた。

「こ、これ、どこかのゴミ箱に捨ててくるから……! 今からお店探そう、本当にごめんね!」

「あのっ……!」

 踵を返して捨てに行こうとした私の腕を、室町くんが少し強い力で引き止めた。

 驚いて振り返ると、室町くんは丸い眼鏡の奥の目を見開いて、耳の裏まで真っ赤に染めていた。

「す、捨てないで……。俺、……すごく、嬉しい、から」

 彼はそう言って、顔を少し伏せながら、照れくさそうに笑った。

 そんなふうに頬を染めて嬉しそうに笑う姿が、不覚にも、堪らなく可愛いと思ってしまった。甘く胸が締め付けられる。

「……本当に、いいの? 大した中身じゃないよ?」

「うん。君の手作り、食べたい」

 その真っ直ぐな言葉に、私は思わず、室町くんから視線を逸らした。

 私たちは水族館のすぐ近くにある、緑豊かな公園へと移動した。

 お天気にも恵まれた午後の公園。木漏れ日が優しく降り注ぐベンチに二人で並んで腰掛け、私は少し緊張しながら、包みを広げてお弁当箱の蓋を開けた。

 私が作った料理を、自分以外の人が食べることがあるなんて、私は今までの人生の中で思いもしなかった。

 胸を擽るようなむずがゆい気恥ずかしさと、ほんの少しの幸福感。誰かのために何かを用意して、それを一緒に美味しいねと分け合う温かさを、私は今まで一度も知らずに生きてきた。

「……あの、本当に普通のおかずばかりだから、口に合わなかったら残してね」

 照れ隠しにそう言いながら、私は室町くんに割り箸を手渡した。

 ※

 お弁当を食べ終えた私たちは、どちらからともなく、公園の敷地内をゆっくりと散歩し始めた。

 並木道を、歩調を合わせるようにして並んで歩く。

 風が吹くたびに、木の葉がカサカサと心地よい音を立てていた。なんて穏やかな時間だろう、と思う。大きな事件が起きるわけでもない、ただ静かな木漏れ日の揺れる並木道。

 ふと、隣を歩く彼の肩に視線がいって、私は今更ながらに気づいた。

(室町くん、背が高いんだ……)

 少し猫背気味で、どこか自信なさげに縮こまっているから実感が湧かなかったけれど、こうして隣に並んで歩いてみると、彼の頭の位置は私のそれよりもずっと高い。見上げるようなその体躯に、男の人の骨格を感じて、ドキリとさせられる。

 そんなことを考えていた、その時だった。

 前後に振られるお互いの手が、歩く拍子に触れ合った。

 指先と指先が、手の甲と手の甲が、歩くリズムに合わせて微かに擦れ合う。車内でシートベルトを締められた時に感じた、あの細くて骨ばった男の子らしい感触が、直に私の肌へと伝わってくる。

 手を繋いでいるわけじゃない。室町くんが私の手を握ってくるわけでもなければ、私も彼の指を掴んでいるわけでもない。

 ただ、歩くたびに、何度も、何度も、お互いの皮膚が優しく触れ合うだけ。

 それなのに、触れ合っているその小さな面積だけでなく、自分の手全体が、熱気をもっているような気がしてくる。

 なのに、意識し過ぎて、自分から不自然に手を引くこともできない。

(室町くんは……気づいてないの、かな……)

 チラリと隣の横顔を盗み見ると、室町くんはいつもの無害な顔のまま、真っ直ぐ前を見つめて歩いている。

(私、気にし過ぎ……)

 私は室町くんの隣で、一人で耳まで熱くなっている。

 ふと、熱い体にぽつり、と冷たいものが落ちた。

 驚いて私が顔を上げると同時に、隣を歩いていた室町くんも空を見上げる。

 さっきまで晴れていたはずなのに、雲の動きが早かったのか、空は急激に灰色に陰り始めていた。お天気雨かと思ったのは一瞬で、またたく間に大粒の雨が激しく地面を叩き始める。

「あ、雨……っ」

 駐車場までは、歩いてまだかなりの距離がある。遮るもののない並木道で、私たちは一瞬にして雨に晒されてしまった。

 私たちは慌てて、近くにあった小さな木々の屋根の下へと駆け込む。けれど、雨を凌げるわけではなく、葉の隙間から雨粒が落ちてきた。

「急に降ってきたね……」

 そう言って、室町くんがふう、と息を吐きながら空を見上げる。

 細い前髪が水滴で額に張り付き、丸い眼鏡のレンズにもいくつかの雫が跳ねていた。濡れた髪を軽く揺らした瞬間、一筋の水滴が、彼の白い首筋を滑り――そこにある、男の人らしい大きな喉仏を伝って、鎖骨の奥へと流れていく。

(な、何を、どこを見てたらいいの……!?)

 室町くんから静かな色気が溢れ出ていて、私は一人でテンパっていた。顔をぐっと逸らし、明後日の方向を見て凌ぐ。

「あの、やっぱり走って車まで戻ろうか」

 室町くんが心配そうにそう提案してくる。

 けれど、私は激しく首を横に振った。

「ううん、どこかで雨が止むまで過ごそう!」

 あの高級車を、自分のせいで水浸しにするなんて恐れ多い。私は青褪めたまま室町くんにそう提案した。

「屋根があるところ! 室内っ!」

「……そっか。じゃあ、あっち」

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     その言葉が、私の胸を鋭く突き刺した。 私は彼の言葉を、きっぱりと遮った。「生理、来たの」「え?」 室町くんは一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。「そうなんだ。……お腹、温める? 何か、薬とか、いる?」 すぐにいつもの誠実な調子を取り戻し、私の体調を気遣おうとする彼に向かって、私は小さく首を振った。「もう終わったから、大丈夫」 これ以上、この優しさに甘えてはいけない。 私は彼を見つめ、ずっと胸の奥底に溜め込んでいた言葉を、静かに切り出した。「生理は無事に来たし、妊娠もしてなかった。……だから、もう大丈夫だよ、室町くん」「……何が?」 室町くんは眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、不思議そうに首を傾げた。「え、あ……だから、その……」 思わぬ反応に、私の方が言葉に詰まってしまう。 これで肩の荷が下りるはずの彼が、どうしてそんなに怪訝そうな顔をしているのか分からなかった。「えっと。君は過労で倒れたばかりで体調も良くないと思うし、俺、看病続けるけど……」 室町くんは私の動揺を気にするふうでもなく、淡々とした、けれど絶対に譲らない穏やかな声音で言葉を重ねてくる。 室町くんの様子に、私の言葉の意味が届いていないと気づいた。「それにさっきの続きだけど。俺の仕事場から君の病院って近いから、俺と一緒に住もう」 遮ったはずの言葉を、彼は何事もなかったかのように、もう一度真っ直ぐに私にぶつけてきた。「時間に融通利くから、君の食事も作れるし、いつだって送迎できるよ」 首を傾げたまま、穏やかに微笑む彼――それを見た私の胸の奥に溜まっていた切なさと罪悪感が爆発した。 私はベッドの上で気力を振り絞って体を起こした。「責任取らなくていいのっ……!」 室町くんの顔を見ていられず、私は俯いたまま叫んだ。「私は妊娠してなかった。……だからもう、責任っていう言葉に、無理して縛られないで。これ以上、室町くんに優しくしてもらうのは申し訳ないから……っ」 涙が視界を滲ませていく。 でも、私が泣くのは違うと思った。誠実な彼を縛っていた私には泣く権利なんてない。 下唇を思いきり噛んで、痛みで涙を堪える。 私は彼を解放するための最後の言葉を、静かに、きっぱりと告げた。「私と会うのは、今日で終わりにしよう」 狭い1DKの部屋に、重く冷たい静寂がゆ

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